2012年5月14日月曜日

黄金の休日

ゴールデンウィークはツツジとハナミズキだ。 

近所の幼馴染みのゆうちゃんの家が代々続く植木屋さんで、広い敷地と裏山にたくさんの木が植わっている。 主にハナミズキを大々的に扱っていて、ゴールデンウィークは「花祭り」としてたくさんのお客さんが来る。あるときおじさんが作った簡単な展望台に登ると、上からハナミズキの森を一望出来る。
 だからゴールデンウィークは繁忙期で、小さい鉢植えだけの客、植木目当ての大口のお客さん、ただ見に来るだけの客、いろんな人が来る。敷地の端に繋がれたジョンとチョロが吠えて来客を告げた。雑種の捨て犬だった。おじさんとおばさんは敷地の木を案内するので忙しいので、遊びに行くとよく苗の置いてある場所で店番を頼まれた。お駄賃はアイスだった。店番といっても簡単な計算と接客をすれば、あとは子供としてそこにいれば良い。
 ゆうちゃんちの敷地の裏山で秘密基地を作った。大きく育ちすぎた植木がまるでジャングルのような、草の匂いがむんとする薄暗さが好きだった。
 綿毛のたんぽぽはおままごとで使う。ケーキの上にろうそくのように立ててふーっと吹き飛ばしてあそんでいた。
裏山の春は牡丹と石南花が、恐ろしい発色でぎょろぎょろと咲き乱れ、秋には曼珠沙華が、また怖いくらいに蔓延っていた。曼珠沙華は摘み放題で、ぽきっと折って魔法のステッキにしてごっこ遊びに使っていた。
夏にはセミとトンボを乱獲した。ゆうちゃんは気にしていたらキリがない程、蚊にさされまくっていた。そのときから私の中に「O型は蚊に刺されやすく、AB型はさされにくい」という仮説をなんとなく生まれて、大人になって科学的に正しいらしい?とネットで読んで知った。ゆうちゃんは漫画が大好きで、高学年になり近所にブックオフが出来ると夏はしょっちゅう付き合わされた。あそこはクーラーが効きすぎて寒いし、立ち読みしすぎて足が棒になる。ゆうちゃんに帰ろうよ、といってもなかなか帰らないんだ。

ある冬は、雪が積もった夜に慌ててゆうちゃんちに行って、敷地中の雪を集めて私達が立って入れるくらいに巨大な鎌倉を作った。そのなかでおせんべいを食べた。写真をとったけどどこにあるかわからない。私はピンクの長靴を履いていた。蝋梅が咲いていたような気がする。

 るみが、ゴールデンウィークはツツジとハナミズキが奇麗だなんて、今まで気づかなかったな、なんて言うから、とても驚いた。そんなの当たり前じゃないか、とおもったけど、でもツツジの蜜を吸い方もゆうちゃんが教えてくれたし(正直今はよく覚えてない)、花に囲まれて育ったのはゆうちゃんが近所に住んでいたからだ。

今はゆうちゃんのお兄ちゃんが家業を継いだ。ゆうちゃんは私より一つ年上で、せっかちで早口で純真。頭はあまりよくない彼女に比べて、マコ兄はずる賢くて要領が良かった。ゆうちゃんはいつもマコ兄に泣かされていて、その後始末はいつも面倒だった。そのまた上のまゆみ姉ちゃんは二人の喧嘩をぴしゃりと叱りつけ、女王の如く君臨していた。おねえはうちのお兄と同い年で同じ中学のテニス部に入っていた、「二人が結婚したら、姉妹だ!!」なんて言っていた。もちろんそんなことはおこらなかった。


 お習字を習い始めたのはゆうちゃんが先で、私は七歳、いつも土曜日は、お習字教室の前でゆうちゃんが終わるのをずっとまっていた。それに気づいた先生が中に入れてくれて、暇つぶしにと紙と鉛筆をくれて、いつのまにか私も通っていた。
ゆうちゃんはさっさとやめちゃったけど、私は高校生まで続いて師範代の一歩手前まで昇段した。教室の庭に金木犀が植わってたのも良くて、先生のそういう所も好きだった。「圭ちゃんはほんとに負けずぎら〜〜〜いだね」とゆうちゃんによく言われた、恥ずかしくてわざとクールに振る舞おうと思ったこともあったけど、徹底的に負けず嫌いになればよかったと今は思う。

今はもう、バス停でたまたま会うときに話すくらいなもんだ。漫画が好きだったゆうちゃんは商業高校を卒業して、本屋さんで働いている。バイト君たちが使えなくて!本を棚に戻せないの!とかいう話をたまにバスの中で聞く。話し方は子供の頃から何も変わらない。
前に大宮駅で、夜ひとりで泣いている彼女を見かけたけど、声はかけなかった。
家の電話番号はそらでも言えるのに、携帯にかけたことはそういえば一度もない。

自分のルーツ、みたいなものにはゆうちゃんが関わっていることが多いけど、そんなこと全然知らないんだろう。生まれて最初に出来た友達というのは、気があう、気があわないで選んだ結果の人間じゃないから、いろいろなことでぶつかり、学ぶことも多かったのだと思う。

ゴールデンウィークはゆうちゃんちで店番をしていたころを思い出す。
アイスが急においしくなる季節である。

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