2010年9月18日土曜日

2010,9,18,22:38

 夕方になって外に出た。
丸2日も布団の中にいてダンゴムシみたいに丸くなっていた。起き上がると不整脈がひどく胸に鈍痛が走り、頭は針金で縛られているように痛いので、とにかく痛みを感じるのが面倒になってずっと眠っていた。
3日前まで別人のように友達と笑い合い、自分たちの目の前に立ちふさがる壁にのぼろうと勇気を振り絞っていたのに、心も体も弱気になるのは一瞬だ。きっかけは、あるといえばあるし、無いといえばない、というほど小さいことだ。足踏みする事に慣れすぎた人間はひたすら繊細になっていくのだから、ばかばかしい。

 自分への嘲笑が洋服を着る体力を与え,靴を履く勇気となり、私は友人の忘れ物を取りに美術館へと行った。
その帰りに、少し気になっていた店に入った。カフェではなく、喫茶店。目立たないが新しい店でそこそこ客は入っていた。店主がこの店で手に入れた毎日への満足が伺い知れたので、きっとここのコーヒーは美味しいのだろう。残念ながら私はコーヒーの善し悪しがわかるほど舌が肥えていない。
狭いけどセンスのいい感じの店内で、久しぶりに吸った煙草が頭痛を和らげた。ただのニコチン中毒で、今まではニコチンが不足していただけなのかもしれない。だとしたら本当にばかばかしい。

店内にはいろんな種類の人間が同じ人の煎れたコーヒーを飲んでいる。
「がんばりすぎているんじゃない?たまには休んだら?」みたいなことを言う、自分とは遠い場所に生息している女の子は、失礼ながら本当に頑張った事が無いからそんなことが易々と口から飛び出すのだ。そうじゃない。私はもっと頑張った事があるし、もっと頑張れる。ちなみに、ストレスという言葉もあまり好きじゃない。誰しもが付き合っているものなのに、その言葉が出た瞬間まるで自分だけ辛い思いをしているような感覚に襲われて焦る。つい使ってしまうけれど。
 
近頃はよく、偶然人に会う。武藤、それから大橋優子。そして三人目。
何日か前、玲香に会った。駅で、よしもとばななの王国シリーズの3巻を読みおえた後だった。

彼女は高校のクラスメイトでもあり、予備校の友人でもある。あの学校の中で同じ美術系を志すもの同士、何も言葉を交わさずとも言い知れないきまずさを共有できた貴重な一人だった。彼女と会った瞬間当時の自分の喋り方にスイッチが切り替わり、不安定な感情が輪郭を与えられて目の前に陳列された。自分の無自覚だった不安要素を茶化しながら言葉にしはじめた自分に私も少し驚いたが、これ以外話題にする事見つからなかった。

旧友と話す事が、1から10まで不安しかない。しかもそれをちっとも深刻に感じていない、みたいな顔して大笑いしながら喋っているなんて。自分でもびっくりだ。
 彼女は私がちっともごまかせていない事を解っているのに、私の茶番に付き合ってくれた。

「土曜の同窓会、いくの?」私から聞いた。
「いくよ。いくの?」
「いかない。」
「だと思った。」

大手の企業に就職を決めている者、官僚としてのスタートにたてることが決まっているもの、それぞれ彼女たちの並外れじゃない努力の結果がそこにはたくさんあるだろう。そしてそれを心から祝福できる余裕の無い小さな私に、彼女たちはきらきらとした期待のまなざしを向けるだろうと思うと情けなくて死んでしまいそうだ。
当時から、クラスメイトの誤解は私の居場所をなくさせた。それ故に高校のクラス会には一度も足を運んでいない。
私本人ですら、あのときの情熱は、目を見張るものがあったと思っているのに、周囲はそこばかり過剰に取り立てて、私を私以上の何者かに仕立て上げる。
あの時以上の情熱がどうして今湧き出てこないのか、この先ずっと、そうなのか。という恐怖に苛まれ、劣等感にずるずると引きずられている私の4年間には誰も気づかず、辛くなるだけだろう。
私は私を本当に理解していくれている人間とだけ再会したい。

と、彼女に甘えのすべてを打ち明けた。
多分0,5㎜以内のズレの中で理解して「だいじょうぶだとおもうけどねえ」と言った。

こういうとき、不要な見解を論じる事無く鼻で笑ってくれるのがこの人の本当に良いところだ。きっとまなあみいはわかってくれる。

私が吐露した心情がまるで無意味で、そして自覚するのも口に出すのも無価値で、しかも私が勝手に気負って恐れている小さな過去の連続が、時間の経過が美化して造り上げた偶像の産物であるということを私が一番理解している。
そしてそれをわかっていて、追い立てるように正論をぶつけてこない。
いつもは鋭い彼女が弱っている者に対してはさりげなく慰める方法だ。

皆には、あいつは元気そうだったよって言っといて。と言って別れた。

人を慰める方法は、難しいけどたくさんある。
私が今日少し雄弁すぎるのも、多分さっき喫茶店で飲んだコーヒーのせいだろうと思う。
肥えた舌を持っていなくても、自分の懐に入るバイト代のためだけに煎れてるコーヒーではないということがわかるからだ。

今日みたいな私の仕様の無い活字はちっとも面白くない。でもきっと皆は優しいから読んでくれるのだろう。
心配されると嫌なので、別に病んでいる訳ではない。多分私という人間そのまんま丸裸にしたらこういう愚痴になるということで、
言いたくないけど、等身大だ。ちなみに、この言葉も嫌いだ。本当にジャストなタイミングで使っている奴を見た事が無い。そして究極にサムい。
自分の愚痴に付き合わせるのは少し気が引けるけど、どんな日々でも記録していくことが毎日を大切に生きていくことに少しでも繋がっていくのならば。。。

申し訳なく思いながらもお目汚し、失礼。

2 件のコメント:

  1. ブログってそういう時に使うもんじゃないの?頭の整理とか。エゴ上等。
    あ、かさありがとうございます…

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  2. おお、そうか、そうだな!ありがとよ。
    傘君の机のとこにおいてあるぜ

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