テキパのために家が遠い私たちが借りていたテキパハウスを引き払った。
卒制がおわるまで借りようということだったけど、バイトする時間もない私たちの貯金は底をついた。
あの時期は2ヶ月くらい実家に帰らずにずっとテキパハウスに住んでて、
思えばご飯作ってたのはほとんどあたしだったけど、
荒木にじゃがいもの目入りグラタンを食わされて殺されそうになったり、
皆が家着スタイルの私を見てヤンキーヤンキー言うもんだから、
ピンクのふりっふりのルームウェア着てやったら
オカマみたいとかIKKOとか言われるし、
ていうか毎日いつ寝ていつ食ってたのかよくわからなくて
もうとりあえず毎日ほぼ徹夜でそれでも
テキパ当日の朝、衣装の制作が間に合わなくて まじで余裕の無くなった荒木と美佳が
待ち針にしてたピンを畳の上に刺していって
それ以来 畳の部屋がリアル針地獄になったり(寝室にしてたのにまじ恐怖)
もうミシンとか編み機とかタンクとか学校から車でパクってきて
毎日夜な夜な作業してたけど(ってこれ内緒ね!)、衣装助手の子たち泊まり込みで作業してくれて
あ、そうだ、それで直前は毎日車登校だったけど、ウィンカーがぶっ壊れて
まさかの手信号で1週間過ごすという辱めを受けたっけな。
しかも大宮まで3時間かけて帰るのにもウィンカー無しっていう武勇伝もうまれた。…怖かったなー。
壁には荒木が描いた絵がたくさんはってあって りょうすけの作品に落書きしまくったりとか、
なぜかみんなの証明写真を貼りまくったり 電気のひもの先に鞄の持ち手つけてあったり
忘れちゃ行けないのがトイレに貼ってあったイルマリのチンポジを毎日チェックするという大事な日課があった。
そして最後まで、あたしたちはゴミ捨て場がわからず、真向かいのマンション専用のゴミ捨て場にびくびくしながらゴミを捨てた。
テキパハウスの入居日は、私が恋人と別れたちょうど次の日だった。
感情にシャッターが閉まったような感覚で、どんな表情をするのもわざとらしくなってしまうような生活のしにくさを今も忘れない。
実家に居ると、焦ってしまったかと後悔したり馬鹿だったと自己嫌悪したり 彼のことばかり頭をふぐるぐると巡り、気が狂いそうになるので、荷物をまとめテキパハウスに逃げ込んだ。もう作業どころではなかったのだ本当は。一番のテキパハウスヘビロテユーザーだった理由はそこにあると告白する。
ムカデなんて荷が重い、でも手を止めるわけにはいかない。そんな時期に違う環境で仲間と四六時中一緒にいられたのは本当によかった。とにかく手がとまらなくてよかった。気がまぎれた。気がまぎれている間に前に進んでいた。よかった。本当によかった。ありがとう。
その彼も昔、仲のいいセンパイたちと学校の近くでルームシェアをしていたことがある。
彼はその家を「氷山の一角」と名付けたが彼以外だれもそうよんではいなかった。(言葉の響きが好きだったという由来。)
引き払う事になった日、なんか泣きそう、とおセンチになってる彼に、
「切なくも清々しい別れだねえ」といった私。
わたしの氷山の一角も、さようならだ。たのしかったなー。
いつかもし彼に会う事があったら、こんな会話忘れてるかもしれないけど、
私も切なくも清々しい別れをしたんだよ、って
テキパハウスの思い出を、茶化しながら話すとおもう。

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